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■記憶の欠片
肉塊デーにUPした肉塊まきのんのお話。



もうどれくらいの時が流れたのだろうか。

日が昇り、日が沈み、風が冷たくなりやがて月が現れる。
そんなありふれた光景も、もはや何も見えない私にはわからない。
(だれか…!)
ふるふると身を震わせる。
私には発するべき声はない。
視界は霞み、動かせる手も足も持たない。
これではまるで胎児のようだ。

27年ひたすら神に身を捧げてきた。
その結果がこれであるならば、神は何と残酷なことをなさる。
(あの女を信じないで!)
物心ついた頃から聞こえた少女の声も、今はもう聴こえなくなった。
あの日あの時の銃声とともに。

私は一体どうなってしまったのだろう。

点滅信号の下で自分の頭に銃口を向けた弟。
初めて兄さんと呟いたその表情は、泣いていたのか笑っていたのか。逆光で私にはその表情を窺い知る事はできなかったのだ。
それが私の最後の記憶。
網膜に焼き付いた哀しみの記憶。
彼はあの後、どうなってしまったのだろう。

(私はなんと罪深いことを…)

義父さんを死なせ、弟である宮田さんまで。

ああ…そうだ、八尾さんは。
八尾さんは無事なのか。
たとえそれが偽りの愛情であったのだと解った今でも、
育ての親とも言うべき彼女を憎める筈がないではないか。
(八尾さん。何処にいるの…)
叫ぶ代わりにふるり、と体が震える。
おそらく私はひとではなくなってしまったのだ。
教会の禁足地に蠢くものの姿が頭をよぎる。
(八尾さん…八尾さん!)
雛が親鳥を呼ぶように叫び続ける。
その時間もただただ、虚しいだけ。捨てられたのだ。私は。

義父さんにも、八尾さんにも。
27年の月日を捧げた神にも。

びゅうと冷たい風が吹く。
一切の光が遮断され、ああ夜が訪れたのだなと朧気ながら理解した。
私は、一切を諦めることにした。
これが自分が招いた因果であるのならば受け入れるしか無い。
流す涙も出てこないこの肉体では。
嘆息し、そしてしばらくのち、眠りについた。


***

ふわりとした浮遊感と共に私は再び目を覚ます。
(・・・・・・?)
人の気配がする。
「やっと、みつけた」
慶、と女は呟いた。
(八尾さん?)

 

私には何も聴こえない。
ただ、身に覚えのある懐かしい暖かさに包まれる。
母親の胎内に戻ったような感覚。霞む視界は赤一色だ。
このまま融けてしまいたい。強くそう思った。

私の萎びた手―と呼べるかどうかわからない―を撫で女は言う。
「お還りなさい、在るべき場所へ」
小さな三角の舟に抱いていた胎児を乗せ、そっと海に流した。
一面の赤い海に、赤い胎児がゆらゆらと揺られ流れていく。
どこまでも、どこまでも。
見えなくなっても尚、赤い法衣の女は赤い海を見つめ続けていた――。

***

さようなら、と、八尾さんの声が聴こえたような気がした。
ゆらゆらと体が揺れる。ゆりかごのようで酷く心地がいい。
霞む視界からうっすらと空が見える。
今はこのまま、流されていよう。

私は目蓋をゆっくりと閉じた。
その後の記憶はもはや無い。

***

「先生、どうしたんですかぁ?」

昭和78年8月。
大学講師と教え子が羽生蛇村の朽ちた神社の前で休憩をとっていた。
「いや、実に興味深いと思ってね」
大学講師――竹内多聞は背後の神社を振り返る。
「三方を山に囲まれたこの村で、なぜ水蛭子が祀られているのか」
実に興味深いと思わないか。と、教え子に振り向いてそう呟く。
「海に流された蛭子神は常世の国に辿り着くという。あるいは…」
竹内多聞はこの神社の下にある湧水を思い出した。
湧水は血のように真っ赤に染まりこの世のものとは思えない。
けたたましいサイレンとともに狂ってしまった時間軸。
「この村が現世と常世の境にある国だとでもいいたげな風情だな」
おそらく私たちは――
そう呟いて、口をつぐんだ。
遠くから羽音が聞こえる。
「行こう、安野」
暗闇の中、2人は蛭ノ塚をあとにした。


朽ちて打ち捨てられた神社。
村の泉に流れ着いた異形の蛭子。

あの日流された「慶」が、どこへ辿り着いたのか。
今となっては誰も知らない。
 

 

 

END
2012年11月29日UP 



思春期漫画を描いたときに「水蛭子神社には特別な思い入れがある」と
表記させて頂いたんですが、その「特別な思い」を折角なので書いてみました。
本当は漫画が良かったんですが牧野さんがぷるぷるしてる絵とモノローグが多いので
漫画では無理だなこりゃー、と諦めて下手な文章でつらつら書いた次第。

要するに水蛭子神社の起源って肉塊牧野?というドリームです。

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